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環境自由主義:大規模林道は必要か

連載 「自由」で「不自由」な世の中を読み解く 第23

『しゃりばり』20062月号

橋本努

 

 

1.止まらない公共事業

 環境にやさしい社会を求めるならば、いっそうのこと、反政府主義の立場に立ってみてはどうだろうか。国家の大型プロジェクト「大規模林道」の問題を考えるとき、「環境自由主義」という考え方がにわかに浮上してくる。

 「大規模林道」とは、林野庁が1973年から全国7ヶ所において整備を進めてきた舗装道路で、延べ2,140kmに及ぶ大型プロジェクトである。当初の見込みでは、経済の高度成長に合わせて大量の木材需要が予測され、そのニーズを満たすためには各地の天然林を伐採して、大規模な人工林を造る必要があると考えられた。また人工林の利用のためには、合わせて木材を運ぶための林道を建設する必要があるとみなされた。しかし80年代になって外国産の安い木材の輸入が増加すると、国有林の経営は赤字に転落、90年代になると高度経済成長という前提そのものが崩れ、人工林の造成は採算の見込めない事業となってしまう。

時代の変化を受けて政府は、1998年に国有林の抜本的な改革を実施、「国有林」を「国民の森」という名称に変更する。また2001年には、「林業総生産の増大」を謳った林業基本法を「森林の公益機能の重視」という観点から改め、「森林開発公団」はこれに応じて「緑資源公団」へと改称、さらに名称を変えて、「緑資源機構」となっている。こうして現在、国の森林資源は、その意義の八割を、木材生産とは関係のない「公益的機能」の観点から、新たに位置づけ直されることになった。

ところが、大規模林道の建設は、依然として続けられている。大規模林道は、その名称を「緑資源幹線林道」と改称されたものの、「公益的機能」の充実・強化という観点から、幅員を4mから7mに変えて、いっそう大規模なものとなって建設され続けているのである。これはいったい、どういうことであろうか。

 

2.木材生産で70億円?

 例えば、大規模林道全体の約一割を占める北海道地区では、現在、三本の大規模林道が建設されている。@滝上〜留辺蕊(るべしべ)、A置戸〜阿寒、B平取〜えりも、の3区間で、合計約220kmの道路、工事費は一千億円強、幅員7mの全面舗装である。完成すれば、いずれも国道なみに快適な整備道路となるだろう。ただし、これら三本の林道の進捗率は約43%であり、完成するまでにはさらに18年以上かかると予想されている。

「緑資源機構」の説明によると、大規模林道の建設には、およそ四つの利便性があるという。第一に、林産物の運搬・造林の推進・地域開発・山村振興などの多面的効果であり、第二に、地域社会の基盤強化である。第三に、流通体系の大型化や農業・畜産との有機的連関の形成であり、第四に、国土保全・水資源の涵養・住民の保健休養である。そして最後に、地域住民の雇用機会の増大・所得水準の向上や、地域経済の振興が見込まれるという(パンフレット「北海道の緑資源幹線林道」2004より)。

 しかしこうしたバラ色の期待は、いずれも見込み違いではないだろうか。「大規模問題連合北海道ネットワーク」代表の寺島一男さんによると、例えば滝上〜留辺蕊区間の中心地白滝村には、林業に従事する人がわずか四人しかいない。また工事中の滝上〜白滝区間は、それと並走している国道273線とは2~3kmしか離れておらず、その周囲に人家はいっさい存在しない。したがって大規模林道が完成されても、それはせいぜい、一部の人の山菜取りや、魚釣りに利用されるだけになるかもしれない。しかも大規模林道は、その工事が1kmできあがると、その管理は地元の町村に移管されるので、地元としては有効な利用方法がないままに、管理コストだけを負わされる。また将来的には、管理コストはすべて地元に移管されるので、短期的にはいざ知らず、地元社会は慢性的な財政逼迫状態に苦しむことになるだろう。大規模林道の事業計画は、国の負担が77%であることから、地元の町村は事業を受け入れやすい。しかし四半世紀先のことを考えると採算が取れそうにない。ところが「始まったら止まらない、止められない」のが、公共事業の悲しき実態なのである。

 大規模林道の採算性を考えてみよう。寺島さんを代表とする北海道の有志(大雪と石狩の自然を守る会、ナキウサギふぁんくらぶ、十勝自然保護協会、社団法人「北海道自然保護協会」、および、北海道自然連合)は、去る20057月、北海道知事の高橋はるみ氏に質問書を提出している。そのなかでも大きな論点は、1997年に橋本内閣が定めた「時のアセスメント(時代の変化を踏まえた施策の再評価)」に基づいて行われた、大規模林道事業の再評価である。同質問書によれば、大規模林道再評価委員会の再評価には、信じがたい数値が挙げられている。すなわち、「様似〜えりも」区間(14.4km, 4,600ha)の残工事分に関する費用対効果分析において、便益の合計約82億円のうち、85%余りの約70億円は、木材生産から得られる利益とされているのである。いったい、「木材生産を目的とする皆伐・拓伐を廃止」した道有林において、これだけ巨額の利益を木材生産から見込むことには、いかなる根拠があるのだろうか。

 かりに百歩譲って、木材生産から得られる利益が70億円であるとしてみよう。しかしそれだけ投資効率の高い事業であれば、木材生産のために特化した小規模林道でも間に合うのではないか。自然生態系に与える影響という観点からしても、小規模林道のほうが良好であり、国の公益にも適うと同質問書は訴えている。

もう一つの論点として、「時のアセスメント」には、別の委員会(「大規模林道の整備のあり方委員会」)による再評価書があり、それによれば、ほぼ同一条件の隣の区間(「様似」区間)における森林整備経費縮減等便益は、約73億円とされるのに対して、「様似〜えりも」区間の同便益は、大規模林道再評価委員会によって約76千万円と評価されている。いったい「様似」区間は、なぜ「様似〜えりも」区間よりも10倍の便益を見込めるのだろうか。費用便益計算の仕方とその理由が公開されなければ、にわかには納得しえない数値である。

 

3.環境自由主義

大規模林道の建設がこれだけ疑わしい費用便益計算に基づいているとなると、政府の事業計画を容易に信じることはできない。歴史的にみても政府はこれまで、公共事業によって自然環境を破壊してきたのであって、守ってきたのではない。私たちが政府介入から自然を守り、自生的な自然を価値あるものとして保全するためには、むしろ政府に規律を与える自由主義社会の方が望ましいのではないか。環境破壊的な大規模林道の建設を中止させるために、いま、環境自由主義の発想が求められている。